家族のための尊厳死宣言

誰しも明日の生命は保証されません。

明日生きている確率は、死んでいる確率より高いとされています。
ただ、急な発作や交通事故や災害等、想定外の出来事が起こって死期の選択が迫られてしまった場合、尊厳死宣言を行っていれば、家族は苦渋の決断をしなくて済みます。

尊厳死宣言の無かった場合、延命措置をするかそれとも拒否するか、愛する人であればある程、悩み深く、場合よっては、その選択したことを深く後悔し、それを長くひきずってしまう。家族に辛く悲しい結果にもなります。

自らの死の尊厳だけでなく、残される家族のためにもいい制度だと思います。

尊厳死宣言の環境

日本における尊厳死の問題点として挙げられるのが、患者本人の希望が叶えられない可能性があります。
患者自らの意思で事前に選んだ尊厳死であっても、患者本人が病状の悪化や認知症を発症し意思疎通ができなくなったあとで、家族や医師の判断で治療方針が変えられてしまう現状があります。

患者本人が尊厳死を望んでいた場合でも、尊厳死に対する明確な法律がないため、延命措置が行われる可能性が含まれてしまっています。
また、医師も延命措置を停止したことによって、家族から訴えられるのではとリスクを負うため、対応が難しいことになっているようです。

普段からの家族の意思疎通も勿論、大事ですが、尊厳死宣言を公正証書にして準備することが有効な手立てであることは間違いありません。

尊厳死の法制化が進まない現状

国民の8割が賛成し、回復の見込みがない、終末期に行われる尊厳死であっても、生き続けられる状態を意図的に止めることに対しては、賛否両論あります。
患者の意思を尊重し、その人らしい最期を迎える方法の尊厳死ですが、実際は増え続ける高齢者の医療費の増加や介護費用の抑制のために実施されるのではないか?と指摘されています。

そして、取扱い上、何処からを延命措置と判断するのか?と云う難しい問題もあります。
尊厳死にとらわれるあまり、本当に治療が必要な人への治療ができなくなる事態にならないように法制化にあったては、明確な基準が必要になるとのことです。