日本尊厳死協会

尊厳死を望まない場合は、家族や周りへの表明と実行してくれるように、理解を求めることも重要ですが、重篤で自分で意思表示が出来ない場合などは、病院の人道的判断で延命措置をすることが見受けられます。

尊厳死宣言書を公正証書で作成するのが、費用もかかり、難しい場合があります。そういった場合は日本尊厳死協会へ入会することもおススメしています。年会費も2千円と入会しやすく、会員も11万人おり、各都道府県の尊厳死を尊重する病院とも連携しており、尊厳死が実行され易くなります。

まずは入会しておき、金銭的に、向けられるようになったら、公証人役場で宣言書を作成することもいいのではないかと思います。

尊厳死宣言を後押しする

日頃から尊厳死宣言をご家族や周りの方々に表明することと併せて、実行を後押しするように日本尊厳死協会に入会したり、公証人役場で尊厳死宣言公正証書を作成しておくと実行力が補完され、希望を叶えることができます。

協会員になることで、尊厳死の意志が明確に表現され、尊重されます。
また公正証書で更に証拠能力がアップされます。
法律のプロが介在しますので無視できません。両方とも後ろ盾になってくれ、お墨付きのような力を持ち後押ししてくれる。

強い見方になってくれる制度です。

尊厳死宣言、認知症患者への胃ろう

多くの問題を含有しているのが、認知症患者の終末期における胃ろう造設です。認知症が重度に進行すると、自分の意思を表明することができないため、介護する家族の悩みは一様に大きくなります。
そうした姿を数多く見ている、現場の福祉関係者の間でも、延命措置に対して、懐疑的な立場の人も増え、尊厳死を法制化しようという流れの一つになってます。

医療機関で亡くなる人が8割を占める現在、「延命治療」を拒む人は増えています。

尊厳死が進めにくい場合

厚生労働省の作成した「人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン」によると医師等の医療従事者から、適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づいて医療ケアを受ける本人が医療介護従事者から構成される、医療ケアチームと、充分な話合いを行い、本人による意思決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療ケアを受けることが、最も重要な原則であるとされてます。

尊厳死が受入れられない場合、医療ケアチームが尊厳死を受入れないのではなく、まだ終末期でないと判断した結果である可能性もあります。その場合は綿密に話合い、どういった状況にあるのかを把握しておく必要があります。
それでも、中々応じてくれないようであれば、尊厳死(リビングウィル)容認協力医が概ね各都道府県にいるので、ネット等で調べて転院することも視野に入れていた方がいいと思います。

尊厳死宣言の環境

日本における尊厳死の問題点として挙げられるのが、患者本人の希望が叶えられない可能性があります。
患者自らの意思で事前に選んだ尊厳死であっても、患者本人が病状の悪化や認知症を発症し意思疎通ができなくなったあとで、家族や医師の判断で治療方針が変えられてしまう現状があります。

患者本人が尊厳死を望んでいた場合でも、尊厳死に対する明確な法律がないため、延命措置が行われる可能性が含まれてしまっています。
また、医師も延命措置を停止したことによって、家族から訴えられるのではとリスクを負うため、対応が難しいことになっているようです。

普段からの家族の意思疎通も勿論、大事ですが、尊厳死宣言を公正証書にして準備することが有効な手立てであることは間違いありません。

尊厳死と安楽死の違い

尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすための延命治療
を断り、自然の経過のまま受け入れる死のこととされています。
一方、安楽死は回復の見込みがなく、苦痛の激しい末期傷病者に対して、本人の意思に基づき、薬物を投与
するなどして人為的に死を迎えさすこと。

安楽死が患者の「苦痛からの解放」の目的として、薬物などによって人為的に死をもたらすもので「積極的安楽死」と呼ばれるのに対して、尊厳死は「人間の尊厳を保って自然に死にたい」という患者の希望を叶えることを目的として人工的な延命措置をやめて自然な死を迎える「消極的安楽死」と呼ばれています。
このように「何が目的」であるのかと「どのように死を迎える」かが違いますので注意してほしいものです。

尊厳死の概念

延命のための人工的な、生命維持手段が開発され、人工呼吸器や点滴鼻孔チューブからの栄養補給によって生命の延長が可能になった反面として、回復見込みが無くなったあとまで無益な延命を続けることが、かえって患者の尊厳を害することになるのではないかという、問題が広く世間に伝わり理解されるようになった概念です。

「実際に行われている尊厳死の5つ」
胃ろうの中止
中心静脈栄養法などの点滴の停止
人工透析の中止
人工呼吸器を外す
抗がん剤投与中止

法制化も難しいですが、何よりも患者の意思に沿った治療であってほしいと思います。

尊厳死の法制化が進まない現状

国民の8割が賛成し、回復の見込みがない、終末期に行われる尊厳死であっても、生き続けられる状態を意図的に止めることに対しては、賛否両論あります。
患者の意思を尊重し、その人らしい最期を迎える方法の尊厳死ですが、実際は増え続ける高齢者の医療費の増加や介護費用の抑制のために実施されるのではないか?と指摘されています。

そして、取扱い上、何処からを延命措置と判断するのか?と云う難しい問題もあります。
尊厳死にとらわれるあまり、本当に治療が必要な人への治療ができなくなる事態にならないように法制化にあったては、明確な基準が必要になるとのことです。

尊厳死を考えるきっかけになった事件

2005年3月富山県射水市民病院で、末期ガン患者の人工呼吸器が医師によって外される死亡事件がありました。
警察は事件当初「殺人罪」の立件を視野に捜査、起訴しましたが患者の延命治療や家族の介護ノイローゼ等マスコミの連日の報道によって、公に知らされることになり、世論が医師の行為をやむをえないと後押しされるように検察は「殺人罪」について不起訴としました。

この事件をきっかけに国会でも法制化される流れになりましたが、「人の生き方そのものが、法律によってどう生きろと決まってない、にも関わらず、人の死に方を法律で決めるのはおかしい」と云った主張もあり憲法の基本的人権の尊重にあたる等の理由で、現在でも進んでないのが現状です。

民主主義国家、色々な考えもありますが、尊厳死についても基本的人権の尊重にあたるのではないかと個人的には考えております、医療の発展と治療の高度化の歪みの問題ではないでしょうか。

尊厳死宣言、口頭だけでは難しい延命治療拒否

救急搬送されて、救命のために付けられた人工呼吸器ならまだしも、入院時に家族から延命治療を望まない旨の意思表示をしても、容体が急変したとのことで、担当医と病院長が協議して人工呼吸器を装着した、同意書に署名をして下さいと求められた事例があるそうです。何のための、そして誰のための医療なんでしょうか、とても悲し想いになります。
前述しましたが、近年、医療の発展と治療の高度化が進んだものの、患者の意思は置き去りになっている感が否めません。
生命に対する尊厳や畏敬の念は何よりも尊いものでなければいけないと思います。確実な尊厳死を迎えるには日本尊厳死協会に加入したり、尊厳死宣言を公正証書で興し法律のプロである公証人に認めてもらうのが確実です。

無論、普段から延命治療を望まない意向の表明と、コミニュケーションあっての話になります。