見守り安心コラム

軍師、官兵衛の跡継ぎ黒田長政

皆さま、「黒田節」はご存知でしょうか?「酒は飲め飲め飲むならば、日ノ本一のこの槍を」の歌詞で知られる日本舞踊の名曲です。昭和や平成初期の結婚披露宴の余興や宴会等の出し物で、この曲をバックにビールや日本酒を、一升大盃で呑み干すこと(一気呑み)が芸として流行しておりました。         この起源は、黒田長政の家臣であった「母里太兵衛」が、福島正則との酒の飲み比べに勝利し、名刀の大槍を譲り享けたことがストーリーになっているようです。                       

今回の跡継ぎのお話は、その黒田家の当主で、豊臣秀吉の軍師として知られた、黒田官兵衛(考高)の息子である「黒田長政」のお話です。長政自身が父の影響を大いに受け、熟慮断行の気性も相まって特に情報収集に力を入れ、的確な状況判断で黒田家を導いた言われます。                豊臣政権下では朝鮮出兵で武功を上げ、豊臣秀吉の死後は徳川家康と同盟を結び、関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋や吉川広家を調略し寝返りを成功させたり、合戦では石田三成の本隊を壊滅させたりと大活躍します。その後の「大阪の陣」でも活躍し、江戸時代の名門黒田家の基礎を築き上げました。

長政は側近である、黒田節の主人公となった母里太兵衛から武功を上げる度に「官兵衛様を早く超えて下さいませ。超えることこそが、天国から見守っている官兵衛様を、一番に安堵させることでございます」と生涯に渡り激励され続けたそうです。徳川二代目の秀忠から政治参与に任命された時に「もう父を超えたと思うが」と返答すると「尚早でございますと」言われ「生涯、励めということか?」の遣り取りは長政と家臣の名場面として語り継がれています。

跡継ぎとして先代を引き継いでも、その後に側近や信頼される部下との関係性が構築されなければ、名門と云えども、生き残ることは至難の業です。戦国武将にとっての「お家」は、家族経営の会社の運営のヒントになるのではないかと、時空を超えて、想いを馳せることができます。