見守り安心コラム

武田信玄の跡継ぎ勝頼はポンコツ?

徳川家康や織田信長が主役の大河ドラマには 必ずと言っていい程「武田信玄」が大きな壁として立ちはだかります それだけ時の世の中を支配し 影響力があり 戦略や人望も秀でていたからでしょう    歴史の「タラれば」になりますが 信玄が急逝することなく 京都へ到着していれば 信長の天下統一も その後の240年の徳川の歴史も 無かったのではないかと 想いを馳せたりします                  

実際のところ 勝頼は武士としてのポテンシャルも高く 優秀だったようですが 信玄が急逝して 家督を継いだのは良かったが 家臣団をまとめられず 戦においても 武将の能力を最大限に発揮する布陣を敷けなかったり 引き際や判断を間違えたりと 負の連鎖に どんどん陥っていきます

武田家滅亡の最大のきっかけになった 長篠の戦では 織田・徳川連合軍の鉄砲隊に 武田武者の誇りと鼓舞し 鉄砲隊の前になすすべもなく 無意味に騎馬隊を突入させ 最強の騎馬隊も半減 加えて武田家を支える「武田二四将」のうち 有能な多くの武将を失いました これを機に 一枚岩だった家臣団にヒビが入り 織田・徳川に多くの武将が寝返り 勝頼自身の最期は 供した武将にも裏切られ 武田家は 滅亡を迎えます

黒田官兵衛の跡を継いだ黒田長政のように 信玄も家督を譲る前提で 徐々に勝頼に権限移譲を行い 一人前に育てることが出来ていれば 勝頼も武田家も 非業の最期を遂げることも無かったのではと思います 現代風で言えば 二代目社長の勝頼が 急逝した先代から働く古参社員をまとめられず 会社を倒産させてしまうような 日常に感じたりします 

勝頼は決してポンコツではなく 家督を受け入れる準備が出来ていなかった 体制が構築されていなかった 信玄に一手先が見えていなかったのではないかと思います 願わくば 官兵衛のように 信玄の二代目育成の手法も見たかった 是非 育成してもらいたかった限りです 残念でなりません。